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美しいことだけでは美しいものは手に出来ない
次回とか書いてしまってから結構放置しましたが、
もはや「NEXT LEVEL」も発売されてしまいました。
まさに「NEXT LEVEL」なアルバムだったんですが
その話はまた今度書くとして
(まだちゃんと整理できてないんだよっ)
今日は、私はそもそもあゆのどんなところが好きなんだっていう
全くもってどうでもいい話を書きます。

どうでもいい話なので畳みます。

浜崎あゆみのどこが好きと言われて、まず第一には
私は彼女の顔が好きだと答えます。

浜崎あゆみが好きだと言うと、
歌が好きなんだろうと思われるかと思うんですが
実際歌ももちろん大好きですよ。
歌声も歌詞も、大好きです。
でも、一番にどこが好きと言われたら、
それは間違いなく顔です。
顔を主とした彼女の外見が好きなんです。
例えば、新曲の歌詞や歌、曲と同じくらいに、
もしかしたらそれ以上にジャケットが楽しみです。

あゆのジャケットは常に、彼女の顔のうつった写真を使ったものです。
稀に、写真に限りなく近い絵、という場合もありますが。
最近は、というか昔から?
アーティストの顔写真を用いていないジャケットはたくさんあります。
でもあゆはそういうことを、しない。
特に、ベストアルバムでは、顔のどアップがそのままジャケットなのです。
顔しかうつってないジャケットなんです。
ベストアルバム以前に、最初のアルバム「A Song for××」が
既に顔のどアップだけのジャケット写真なんです。
なぜこういうジャケットばかりなのか。
それは、多分彼女の外見は、特に顔は、
歌声と同等に価値のある「商品」だから、ではないでしょうか。
顔を載せないジャケットだってオサレに仕上げることはもちろん可能でしょうし
あゆっぽい、デザインの、顔が載ってないジャケットだって作れるかもしれませんし
これから先、そういうことが起こりえないとは言えません。
でも、彼女がCDを出すにあたっては、そういう歌一本勝負に見せるみたいなことは、
これからもしないだろうし、出来ないんじゃないかと思うのです。
悪い意味にとられたら嫌なんですけど、だって歌声一本勝負でやってないことは
あゆ自身が一番わかってるじゃないですか。
ていうか悪い意味では全然無くて、
逆に、顔も商品にできるだけ、他より武器が多いとも言えるし
(「歌手」にとっては必要の無い武器であるかもしれませんが)
顔のどアップだけしか写ってないジャケットが、ジャケットとして通用するのは
あゆくらいのもんじゃないでしょうか。
あゆじゃなければ、あゆの顔じゃなければ、こんなこと、できない、と、私は思う。

だってあゆの顔って、美しいじゃないですか。
(ここで同意が得られなくとも私は突き進みますよ、
少なくとも私はそう思う、という程度にとらえていただければ・・・)
美しい、というのは、多くの人がそう思うだろう、ということです。
「A BEST 2」のプロモーションでスマスマに出た時、稲垣さんがあゆに
「お人形さんみたいですよね!
お人形さんみたいって、女の人にとっては褒め言葉だったりするじゃないですか、
でも、イッチバンお人形さんっぽいですよね」
って言ってたんです。
「お人形さんみたい」が女にとって褒め言葉であるかどうかはさておいて、
あゆの顔が「お人形さんみたい」であることは間違いないと思います。
人形みたいということは、人工的だということです。
だってケチのつけようが無いですよ。
何といっても、あの大きな瞳。
不自然なほど、縦にも横にも大きな瞳。
お肌はいつだって陶器のようになめらかで、真っ白。
鼻も、口も、文句が言えないくらいに整っている。
可愛いとか、綺麗とかのレベルを超えていると思うんです。
ととのいすぎている!
妙な疑惑が出るのも当然です。
というか、これが天然なら神様は不公平すぎると言えるでしょう。
あゆが整形をしてるかどうかはここでは何も言えませんが
(だって本当のところはわからないんだから)
別に整形してていいじゃないか。してないかもしれないけど。天然かもしれないけど。
彼女が美しいことは変わらない。
「前から美しかった」としても、「途中で美しくなった」としても、
今、美しいことに変わりは無いじゃないか。
そして、浜崎あゆみという存在において、
あの美しい顔は絶対に必要不可欠なものなんですから。

あゆが、もし、普通よりちょっと可愛いレベルの容姿だったら、
同じ歌声と同じ歌詞があったとしても、
Dutyの頃をピークに勢いを失っていたと思います。
もっと早かったかもしれない。
あゆが現在の地位を手に入れたのは、
あの美しい顔があったから、そしてそれを上手に見せられたから、です多分。
あゆの歌声や、歌詞は確かに素晴らしいと思います、
だからファンなんですよ、私だって。
でも、同時期にデビューした多くの女性歌手達と比較したとき
(ちなみにあゆがデビューした98年は歌姫豊作の年らしいですよ)
あゆの歌声や歌詞は、言ってしまえば「割と普通」だったと思います。
某U多田さんのように日本人離れした歌唱力があったわけでもなく、
某S名R檎さんのように抜きん出た言語感覚による歌詞を書いたわけでもない。
あゆの歌声は「普通に」うまかった、というか
プロになる以上は必要最低限、という程度だったと思います。
(今はもっとすごく迫力のあるあゆだけの歌声になったと思いますけど)
あゆの支持の基盤であると言われる歌詞も、
当たり前のことを、当たり前に伝えようとしている部分が大きい。
「陳腐」と批判されることも多い歌詞です。
(私は陳腐とは違うと思います、歌詞については後日)
デビュー直後の映像を見れば、この女の子がその後
若い女性のカリスマとなり、歌姫、女王としてJ-POP界に君臨することになるとは
想像がつかない、と思います。
だけど、あゆには、他の誰にもない、飛びぬけた部分があった。
それが、あの美しい顔です。
女の子なら誰もがあこがれるような、童話の中のお姫様のような
ふりっふりひらっひらのドレスを着こなすだけの、迫力のある顔。
どんな派手な衣装を身にまとっても、それに負けないだけの力を持った顔。
それが彼女の、他には無い、最大の武器だったんだと思います。
それがあったから、あゆは「歌姫」になった。

あゆの歌詞が、支持を得ていた時期があったのは多分
「あんなに綺麗な、人形みたいな顔してるのに」
私達と同じような孤独を感じたり、寂しかったり苦しかったりするのだ、という点が
多くの若い女性をひきつけたからじゃないのだろうかと思います。
カッコの中が大事なんです、ギャップなんです。
人形やロボットのような外見なのに、
実は人形やロボットなんかじゃない、人間の赤い血が流れていて、
その血が流れ出るほど肉を切って歌詞を書いているから、好きなんです、あゆが。私は。
逆に言えば、自分の肉を切って切って血をだらだら流しながら書いた歌詞を
傷口一つ見せずに飄々と人形のように美しいまま歌うから、好きなんです。
(正確に言えば歌っている姿は全く人形のようではありませんが
肉を切った様子を見せることなく美しく、という意味です)

長くなりましたが、
だから、私は、あゆのあの顔が好きだと言うんです。
まだ書きたいことはある気がするんですが
長くなりすぎるし、もう疲れたのでやめます。
もはやまとまりがなさ過ぎて自分でもおそろしい。
また何か思ったら書きます
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